和井内ふ化場の設立
和井内貞行は、成長したヒメマスの大群が産卵のために十和田湖に帰ってきた翌年の1906年、ここ生出に和井内ヒメマスふ化場を完成させました。彼はなぜこの場所を選んだのでしょうか。それは、十和田湖に流れ込む70ほどの水流のうち、ここ生出の水流だけが、北海道でのヒメマスの生育環境に近い8℃の低温を常に保っていたためでした。和井内のふ化場はその後拡張され、2002年まで使われていました。この建物を出てすぐのところにある現在のふ化場の敷地内には、当時使われていた池が今でも残っています。
和井内ふ化場を訪問する東伏見宮大妃(1918年)
和井内ふ化場、左の人物は和井内の三男・貞三(大正時代)
和井内ふ化場で成魚を捕まえているところ。和井内は右側に立っている(大正時代)