十和田湖を日本屈指の観光地に変える

世間に知られるようになるまでの
長い道のり

秋田県と青森県の境にまたがる十和田湖は、十和田八幡平国立公園の中核的な存在です。十和田湖内の中山半島の根元に鎮座する十和田神社には何百年も前から参詣者が訪れていましたが、道が悪く、付近に大きな町もなかったため、十和田湖そのものは人気の観光地ではありませんでした。十和田湖が広く認知されるようになったのは、作家の大町桂月(1869-1925)が20世紀初めに十和田湖を訪れ紀行文を発表したことがきっかけでした。
十和田湖観光の父として知られるようになった和井内貞行は、1897年に地元の鉱山会社の仕事を辞め、魚の養殖に身を捧げました。同年、彼は十和田湖の北西に位置する銀山に旅館「観湖楼」をオープンし、率先的に十和田湖を観光客にアピールしました。1905年にヒメマスふ化場事業が成功をおさめた後は、和井内は十和田湖地域の観光開発にますます注力し、ホテルなどのインフラ建設や交通アクセスの整備を支援しました。

生出に移され新たに再建された観湖楼(1913年)

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