養魚に捧げた人生:22年の試行錯誤

富める時も、貧しい時も

和井内は、妻の勝の支えなしには成功できなかったでしょう。勝は、お金がない中で9人の子どもを育て、夫がヒメマスの購入資金を工面するのを助けるために愛用の着物や櫛、懐中時計を質に入れるなど、苦しい状況に気丈に立ち向かいました。1905年、ヒメマスが産卵のために初めて十和田湖に戻ってきた年、東北地方一帯は凶作に見舞われました。和井内家は多額の借金を背負っていたにもかかわらず、勝は食糧難の地元の人々に自由に魚を釣らせてあげるよう和井内を説得しました。勝は「良妻賢母」の鑑とされ、戦前の教科書に非の打ち所のない女性の模範として取り上げられました。

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